かしまし〜ガール・ミーツ・ガール〜 最終話「やがて恋が始まる」

やっと見れた('A`)
白黒ついたかぁ、と思ったら、なんじゃあの灰色決着は〜〜〜。
なんだろうなぁ。ちょっと最終回は展開を急ぎ過ぎの感がしたし、後述のように非常に
ひねくれた(後ろ向きな)解釈をせざるを得ない展開だと思った。消化不良。


そもそも、はずむが悩んだ過程、つまりやす菜を選ぶに至った描写が完全に欠落していて、
なんで?というのが疑問のまま残る。
単に、完全に人を識別できなくなってしまったやす菜を哀れんでのことなのか。
(そして、前回あゆきが言ったように、誰かを傷つけたことで傷つく自分を守るため)
それとも、やす菜に対して、とまりとの絆以上に深い絆があったのか。
が、絆という点では、とまりとの絆の方がより深いことは、頻繁に挿入されていた
回想シーンから明らかだ。


この点を踏まえて、最後のシーンの意味を解釈する。
まず最初に、やす菜からはずむへの何らかの告白。やす菜はもはや男性を認識できるようになり、
はずむとつないだ手を解く描写があることから、はずむとの離別(もう大丈夫だからお前(゚⊿゚)イラネ)
ということを暗示していると考えられる。
元々、やす菜がはずむに惹かれたのは、はずむが唯一認識できる男性であったからであって、
男性を完全に認識できるようになった後では、敢えてはずむと居続ける理由はない。


一方で、はずむにとってやす菜は初恋の人ではあるものの、一度は告白を拒絶され、そこに
とまりからの思いがけない告白が重なり、絆の強いとまりへの思いが強くなっていた。
ここでとまりはキープ一号。やす菜がダメでもとまりが居る、という安心。
そして、両者の間で揺れつづけた自分の優柔不断さゆえに、やす菜を深く傷つけてしまった
という罪の意識から、一度はやす菜を選んだ。そしてその決断によって、やす菜は立ち直る
ことができた。つまり、この時点ではずむの罪の意識は払拭されたことになる。
そうなると、はずむがやす菜に寄り添い続けるもよし、捨てられてもとまりが居る。
さらに、やす菜を選んだことで傷つけてしまったとまりに対する負い目がある。


ここでやす菜とはずむの利害は一致し、やす菜ははずむからの離別を、
はずむはとまりへの贖罪を、と、それぞれの都合のよい形で決着をつけることができる。
そうすれば、はずむがとまりの目の前で川を渡って見せたシーンの解釈は容易で、
「やす菜とは手を切った、だから一緒に居て欲しい」、という告白だと考えられる。
サブタイトルの「やがて恋がはじまる」は、はずむととまりの恋、ということだろう。


と適当ぶちかました。
DVDのみ13話があるらしいから、のらりくらり待つか・・・。